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蟲師#9 「重い実」

蟲師#9話「重い実」。

TVは放送後とっくに見ていて下書きはしていたものの、感想を放ったらかししていました。
今更の内容で読んでもらうほどのものではありませんが、自分の覚書として、来年に持ち越さないように、遅ればせながらUPします。

祖先(ちちはは)の骸(=原作では”血肉”)に根を張りし苗よ
青い青い葉を伸ばせ
重い重い実を付けよ・・・

今回は趣を変えて、#1話の蟲紹介以来のアバンタイトルで始まったかと思ったら、本編入ったら、こらまた思いっきり重たいナレーション。
一気に首がどーんと項垂れてしまいました。(反面、重たいテーマを如何に描いてくれるのか、かなりの期待ができましたが)

浅薄な身で思い出されたのは、
「櫻の木の下に死体が埋まっている」と言ったのは梶井基次郎。(櫻の木の下には)
「赤い鳥と白い鳥が埋められた桃の木は罪の果実」と描いたのは川原泉。(Intolerance・・・あるいは暮林助教授の逆説)
程度です。(^^:
常ならざる豊穣、美しいものには、命を糧としたそれなりの理由があるようです。

さて、今回のお話のキーは蟲というより、蟲も含めた生命の根源を凝縮した”ナラズの実”。

物事には因果というものがありますが、物語の中では、ナラズの実の力という”因”により、天災の中でも、異常とも言うべき豊作の”果”を受け取ることができます。
しかし、自然の理に反した”果”は、歪んだ”因”となり、更にその”果”として一番生命力の弱っている者の命を求め、凝縮して「瑞歯」となり、次の”ナラズの実”となります。

世界は大いなる調和で保たれているもの。

歪んだ形でもたらされた福には贖いが必要。それは必然とわかっていても、一つの命で多くの命が助かるならば、惑うのが人間でしょう。
それを仕方ないこととして言い聞かせ、他人事として(心の)目をつぶれば、かすかな痛みをやり過ごすだけで済むかもしれませんが。

現に、村人達は”ナラズの実”の仕掛けを知らないまま、その現象を「別れ作」として忌避しながらも、奇跡の豊作には自分達が、自分達の家族が生きるために感謝しています。

それを誰が責めようもありませんが、今回の話の主役である祭主は、20年前の天災の際に村のために”ナラズの実”を使い、自分の妻がその代償となったことで、苦悩し、一人ある決心をしています。

を始めとした村人たちを助けるために使った”ナラズの実”。しかし、その代償は身体が弱っていることを隠していた妻の命。生きるためには妻の命を糧とした米を食べねば存えぬ身。食べることが自分の血肉となることを渇望してしまう身体を抱えた業に声なき慟哭を上げながらも・・・。

一方、妻は”ナラズの実”のことは知らずとも、「別れ作」のことは伝え語りで聞いていたのでしょう。自分の命が夫である祭主の命を存えてくれることを願い、「別れ作」で得た米を炊いて夫に優しく差し出します。

この、皮肉なすれ違いに涙してしまいます。

”ナラズの実”による豊作は、他人の命を食むこと。
今回の物語の話だけでなく、他の命を食んででも生きることを願うこと、生きることをやめられぬこと、それは生命に等しく与えられた業ではありますが、だからこそ手を合わせて”いただく”ことを忘れないように願いたいものです。

・・・代々の祭主も、苦悶しながら心の中で血を流し、”ナラズの実”となった人を生涯かけて供養し続け、供養するために土地を自然に豊かにする改良に自らの心血を、命を注いだと、そう思いたいものです。

しかし、理に反する行為は、いつしか自然を歪めかねず、人の心も砕きかねないもの。
この連鎖を断ち切るために、件の祭主は”ナラズの実”を処分することも考えますが、妻の命を糧とした事を無為にできず、次に村のために使う際は、その恩恵を受けるための最後の代償として自分の命を差し出すことを覚悟して実を持ち続けます。

そして、今回の天災で実を使用し、自分に生じた「瑞歯」の処分を、あえて”ナラズの実”の真実を隠して、次の祭主として育てていたサネに託そうとします。

まだ子供であるサネに託された想い。

子供には重過ぎるものではありますが、その重さに耐え、次の祭主として、豊作の祭事を務め上げた後のサネの沈痛な表情が印象的です。

祭事の宴では、村人たちが何もしらず「別れ作」ではなかったことを囁きあって喜んでいますが、それは祭主とサネの悲しみがあってのこと。皮肉です。
でも、その悲しみを他に知られないことも、また二人の想い。
この世の幸は、自分が知らずとも、誰かの想いによって支えられていることを考えれば、御蔭様という言葉を心を、大事にしようとも思うものです。

単純な物語だったら、祭主の心情を描き、サネの今後を予感させながら、ここで終わるということもあるのでしょうが、最後の一捻りを与えてくれるのが、この作品の素晴らしいところ。

ギンコは事切れた祭主に”ナラズの実”を与え、生命を呼び覚まそうとします。
しかし、それは人ならざるモノとして、永遠に近い時を生き続けなければならないこと。
それでも、その覚悟をギンコが祭主に生前問うたとき、祭主は「答えなど決まっている」と呟きます。

そして、祭主は、自分のやった事の行く末を、土地の行く末を永遠に見守っていくことになるのですが、一方では、それは永遠の時をかけて自分の犯した罪を贖っていくことかもしれません。
最後のカットなぞ、昔語りの一幕でも見るようです。

しかし、#7話の「雨がくる虹がたつ」といい、男同士の話のときは、なんか心に染み入る、えぇ話になります。
父親から息子への想い、師匠から弟子へ伝える想い、先達から次代へ繋げる命の想い。
男は女と違って、自分の中で生命を育み残すことができないから、他に生きた証を残し、想いを伝えるぐらいしかできないんですね。時には命を賭してまで。

祭主とサネの関係は、原作#2巻「やまねむる」のムジカとコダマの関係にも似てると思いますが、「やまねむる」での出来事とあわせると、今回の祭主へのギンコの行動がより深く感じられます。
そーいえば、次回「硯に棲む白」の次は、原作#2巻に戻って「やまねむる」らしいですね。

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今回のお話、原作でも読んでいるのですが、アニメになると以前読んだ時とはまた違う様 [続きを読む]

受信: 2006年1月 1日 (日) 23時27分

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