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半分の月がのぼる空 #1

原作は読んでませんが、前情報および#1話からは、

ボクが恋したのは、欠けている心臓を抱えた少女だった・・・

ってな話ですか。

空に浮かぶ月は、まだまだ不完全なボクたちに似て半分だけど、二人の月を合わせたら満月にもなれる・・・今は未成熟なボクたちだけど、二人でともに在ることが大事なこと、とか。(恥ずいっ ^^;)

半分=未完成、未成熟、大人になりきれてない(なってない)、(心や身体に)欠けた
    所を抱えている、とかの比喩ですかね。

特殊な状況とか制約された状況での恋ってのは燃え上がりますからね。
いや、ゴメンなさい。おちゃらけるつもりはないんです。(^^;

houdai1 画は、ところどころ、びみょーにクセありそうだけど、月明かりの下の画はいい感じ。

お話の舞台は伊勢市。
架空の町じゃなく、地方都市というところが、なんとなくリアリティ感じられそですね。一応きちんとロケハンしてるのでしょうか。

ope rouka しかし、病棟を抜け出すのは、なんとか可能だとしても、患者が往来する廊下で、入院している(一応)患者を正座させて、スリッパでシバきまくるってのは、いくらなんでも管理上ないでしょ?
更に、そんな簡単に手術室に忍び込める病院ってダメでしょー?!(笑)
暗くならないためのコメディ要素ってのはオッケーですけどね。

劇中では、(見た目は)元気に入院していた多田じーさんは、容態が急変して亡くなってしまいますが、病院は病気を治すために行くだけじゃなくて、治らずに無言で帰っていく人もいるんですよね。
思うのは、正面玄関から帰せとは言わないけど、亡くなった人が帰っていく扉は、なんか裏口感覚の配置なんですよね。
感染症とか伝染病とか、予防治療が発達してない大昔と違って、死は穢れではないんですから、そこんとこ配慮して設計している病院ってのはないのでしょーか。(というか、あるのでしょーか)
劇中の感じでは、多田じーさんは、身よりもなさそーでしたが、あのくらいの年になると、ある程度、自分の死に対しては達観しているとは思います。
若いときは漠然とした感じだけだけど、ある程度の年齢になったら、気づかないうちに、いつのまにか自分の死を感じ(見つめ)ながら、生きていってるよーなもんですし。
実際に、あそこまでの年齢になってみないとわからないことかもしれませんが・・・。

halfmoon あと、言葉の使い方には、もう少し気を遣ってほしかったかも。
覚悟ってのは、死ぬ覚悟や死んでもいい覚悟っていうような身を捨てるようなものじゃなくて、生きるためには、その代償として死ぬかもしれないことも覚悟するってことですよね。
砲台山から見る景色を、街の灯りを、空に浮かぶ月を、これからも見続けるための覚悟ってことですよね、ね。
わかってる上で、言葉を使って、(脚)本書いているとは思うんですが・・・。
実際、普段はそんなに意識してなくても、生きることと、死ぬことは表裏ですし。

ed OPの画やEDの歌詞(泣ける曲です!)からは悲恋のラストも予感させますが、EDのイラストがラストカットなら、結末はわかっているよーなものでも、そこに至るまでの、それぞれの人の想いが、ドラマがあるから感動できると思うのです。
まさか、あれは果たしたかった夢なんて言わないですよね?
原作読めばラストはわかるのでしょーが、あえて読まずに、どう見せてくれるのかを期待して毎週の放送を待とうと思います。

死ぬかもしれない病気を抱えているのは、なったことがない身としては想像もできないほど不安だと思うけど、そんな人を見る立場は、つい半年前まで、1年弱ほど過ごしてきたので、話も後半にいったら、ちょっとイタイかもしれないな~とも思っているのですが。
まぁ、こんなキレイな話じゃありませんけど。
最期のときまで母に寄り添って、しっかりと抱き起こしていた父の姿には、自分にはできない献身的な想いを感じたりしたのでした。
あ、ダメだ。泣けてきた・・・。

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