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ここどーなってんの?「銀色の髪のアギト」

さて、前回からとっくに1週間以上経ってしまった『銀色の髪のアギト』の舞台設定や物語の伏線についてですが、既に映画館で見た記憶も薄れてきておりますし、書いていくうちにアラ探しみたくなってしまった上に、文章にするとやっぱり長くなるのですが、とりあえず「ここ、どーなってんの?」というツッコミです。(笑)

■ 月面での植物暴走のこと
 全ての原因となった冒頭での植物の暴走が、今回の物語でのシュナックの行動原理であったと、映画後半で自ら明かすのですが、だったら、ネタばれにならない程度で、フレーム外でも乱れた画像・音声でもいーから、それなりの音声・画をインサートしていた方が、あぁなるほろと効果的であったかもしれません。後になって、セリフだけで説明されても、ちょっと・・・。

■ ステイフィールドのこと
 トゥーラはなぜ、どうして、どのような状況のときに、ステイフィールドに入ることになったのか。
そもそも、ステイフィールドは何のために準備されていた設備であったのか。災害発生時のシェルターか、それともどこかの研究機関の非常用か。
植物に襲われて、誰かが自分の身を犠牲にして入れたシーンがあったけど、着ていたものはワンピースタイプの環頭衣みたいだったので、やっぱり医療用の患者の着衣だったのでしょうか。

■ ”森”の地下の遺跡のこと
 植物の暴走により破壊され、”森”に沈んだステイフィールドのあった施設ですが、目覚めたトゥーラの存在を危険因子と認識しているなら、なぜ、トゥーラが眠っていた施設を、その まま”森”の地の底深くに抱くように放置していたのでしょうか。危険因子の設備・生体は排除するなら、反応しなかったのは、仮死状態で生体反応が低下して いたせいですかね。

■ トゥーラがイストーク起動に拘った理由

 現在の地球環境に絶望して、父親の遺したシステムを継ぐという気持ちだったのかもしれませんが、父親はなぜか完成したシステムを封印して姿を消したのですから、父親の意思を継ぐというのは正しくないですね。
それより、植物暴走に巻き込まれた母親の復讐・無念を晴らす方が、負の感情であっても、より人間的だったかと思いますし、それを超えて”森”との共生、自然の必要性に目覚めるようであったら成長が見えたのですが。
結局、イストークを止めようとしたのは、たまたま中立都市の破壊を伴うことが判明したためで、他の小さな犠牲だったら見逃していたのではと思うのは邪推でしょうか。

■ イストークのこと
 トゥーラの父親がシステムを完成させながら、起動直前で封印し姿を消した理由がわかりませんでした。(見逃したかも)
自分で封印しながら、なぜ起動キー(の一つ?)をトゥーラのラバンに指定したのかも不明。
また、システムを停止するためにラバンを取り出す手段として、トゥーラの涙で稼働したというのは、どういう原理でしょうか。DNA認証ぐらいですか。
状況としては感動的なのですが、システムは冷徹なもので、人の感情でどうこうできるものではないはずですが。

■ 軍事国家(ラグナ)のこと
 シュナックはラグナ中央の末端であったのですが、シュナックの目的は昇華されても、ラグナ自身の他を侵略し、今ある”森”を破壊・統制するという国家戦略は何も変わってないのです。
ジェシカが共闘したのは、あくまで前線の将兵の一判断で、画面的には
 軍事国家(ラグナ)=文明=自然を脅かす悪
 ”森”=絶対正義
という敵対する二元論で表されていた図式には何の改善の予兆もありません。
イストークが、実は地球環境を再び破壊するもので、人類の存続さえ危ぶまれるものであったなら別ですが、やや無謀であったとはいえ、ただの環境再配置計画の失敗なら、今後も”森”の排除は続くでしょう。
今回の事件を機にラグナの上層部の判断に変化が見えればよかったのですが、中央は言葉で出ただけで、一切の画面表現がなかったので、物語上はブラックボックスのままです。

このままでは、例が悪いですが、ダムを作ろうとしている公共案件があって、それをどうこうするということが変わったのではなく、工事中に起こった落石を解決した程度で、世界の生態系に関する問題は、まだ解決してないのです。

もちろん、数々の問題はこれから解決していくのでしょうが、とりあえずイストークを破壊しただけで全てが片付いたような万々歳では困ります。
イストークは手段であって、森林破壊の目的そのものを解決する必要があるので、まだこれからの問題は山積みという負の面を少し見せながら、それでも未来には希望が広がっているという表現で終わってほしかったと思います。
このままでは、あまりにも楽観的な終わり方です。

と、まぁ鑑賞中は、感情の流れに赴くままに見ているので、あまり気にならないシーンでも、後々よく考えると?が多いのです。
全てを理路整然と劇中で説明しろとは言いませんが、あそこに1カット、ここに1シーンと、伏線や説明、未来への希望の予感となる画を配置しておけば、物語がうまく収斂していくものを、状況を順に表現しているところが、初の映画で余裕がなかったのでしょうか。
そういう意味で、もう少し時間があれば、そのようなカットが配置できたのにと思うのです。

まぁ、アイディアや印象的なシーンはセンスだけで出てくるものでもありますが、それを映画として1本のフィルムに纏め上げるのは、実務的な応用力、職人の技というのも必要なので、まだまだ経験が足りないGONZOのこれからに期待しましょうか。

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