近場のネタで・・・電映フェスティバル

とりあえず、近場のネタとゆーことで、GWの先週1泊小倉・博多遠征で見てきました。

シャナ
      キノ
          へんたいっ!(・・・んにゃ、いぬかみっ!)

なにせ、全国上映とか言いながら、地方都市では演ってくれませぬものですから、帰省中の地元では見ることができなかったのでした。
別に、Q州じゃなくても、出稼ぎ先の関西で見に行けばいーのでしょうが、○タおおそうで・・・。(←お前もな!^^;)

■ シャナ は、
劇場だけあってエフェクトと爆発音は五月蝿いぐらい派手でしたが、まぁ、大筋はTVでもやったし、こんなもんかと。
なにせTV1作目は、半年かけて最後で映画の予告に成り下がったし、映画は映画で今秋からのTV2作目に繋げるための1時間予告だし。

いや、まぁ、ラノベ的には小気味よく、すっきりまとまってたと思いますよ。(映画的感動はないけど)
尺の関係で途中をモノローグですっ飛ばしたりして、予備知識がない人には展開がわかり難いところもありましたけど。(やめとこ・・・これ以上言うとドツボにはまりそう)

■ キノ は
あいかわらずっっっ・・・・・・・・重っ!暗っ!(^^;
アイロニー満々です。
無難にまとめたシャナの後だけに、割り切れない矛盾を抱えたまま悶々とエンドロール。
こちらの方が、まだ映画的ではあります。

そして、

■ いぬかみっ! で、
キノの鬱々を、でっかいくだらなさでぶち壊してくれました。
いや、ホントにくだらないんですよ。奥様。
いくらCGが大安売りだからといって、巨大仮名史郎はCGのムダ遣いかと・・・・いや、CGだからやれる反復処理。セル画時代にやった日にゃ、あーた描く方の気が狂いますよ。
それより、良い子の映画祭りで(一応)ヒロインにギ○ボール噛ましていーのか。おいおい。┐(-。-;)┌
(↑それを知ってるお前も立派なへんたいっ!)

しかし、20年以上たっても、ちっとも歌うまくならへんな、速水奨

・・・と、予想では、シャナ60分、キノ30分、いぬかみっ!30分で合計2時間ぐらいかなと思ってましたら、全部で2時間超える上映時間だったのは、3作合同オープニングムービーが最初に入ってたからでした。
わたしゃ、いきなり最初はキノから?(えっ?)と思ってしまいましたよ。(笑)
まぁ、SDキャラで掴みはグッジョブでしたが、何といってもSDでもぽよよ~んな吉田さんでしょう。・・・・ダメじゃん。orz

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誰も知らないラストってこんなもの~映画ZガンダムⅢ 星の鼓動は愛

3/4土曜日の初日に観てきました。映画ZガンダムⅢ

先にラストから言いますので、まだ見てない人は読まない方がいーです。


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やはり、最後は精神崩壊すべきでしょう。

富野監督自身、これまでの作品で、あまりにも理不尽で我儘なキャラや世界を描きすぎたことが、次の世代への悪影響、罪であったと言ってるようなので、こういうラストもありでしょうけど、やはり、カミーユには残酷な一つの教訓になってほしかったかと。

人の業として、この世界は善意とともに悪意と矛盾にも満ちていて、傷つきやすい魂は壊れやすい。
だからこそ、生物として生きていくために、傷ついても壊れない強い精神を鍛えねばならないし、悲しみと悪意に満ちた世界を、次代のためにも善き世界へ導く努力を怠ってはならない。

その教訓として、あまりにも理不尽な大人たちに振り回されたカミーユは、世界のサクリファイスとしてTV版同様に一度精神崩壊すべきだったかと思います。
ただ、TV版のように完全にあっちの世界(笑)に行ってしまっては救いがないので、現実と精神世界の狭間で両方に揺れ動く精神ということでもよかったのかなと。
その表現として、ファの問いかけに的はずれな答えをしながらも、時として現実的な受け答えもし、世界の核心を感じさせる超越的な言動をしたりする。
その混乱した言動のアンバランスさが、精神の異常さを感じさせながらも、覚醒した魂の復活の潜在も感じさせる。というところでしょうか。

それはともかく、結局、UC0087の勢力圏にはなんの決着もついてないんですよね。
基本ストーリーはTV版のままなので、権力の覇権を 狙ったティターンズのジャミトフとバスクはシロッコに殺されて、その力を利用しようとしたシロッコも倒されて、地球連邦内の先鋭的な流れは抑制されたもの の、アクシズは健在で、まだ不穏な情勢を導きかねない状況は残されたままです。

誰も知らないラストと言うなら、反目しながらも世界の在り様を模索し、未来を変える予感を感じさせるシーンをここに追加して、TV版がZZに繋がったところを変更して、Zだけで決着を着けても良かったかもしれません。

まぁ、ハマーンさまはジオン再興という大義を掲げながらも、個人的にはシャアに袖にされた恨みを持っているようですし、あそこまで可愛さあまって憎さ百倍みたいに責め続けている話のままでは無理ですかね。
個人の情念、感情が世界を歪める根底に潜んでいるというのが人間の業というもので、なにせイデオンでは娘に対するドバ・アジバの父親の情念が宇宙崩壊まで引き起こしてしまいましたし。(^^;

そんな人間の業を一番表しているのが、男がヤザンと女がレコアですかね。
人間としての闘争本能を満足させるために自ら戦場に身を置き、人を殺すことに愉悦を感じるヤザン。
一方、巣作りを基本とする女としての存在を、男の都合のよいようにではなく、ありのまま認め、自分を主張させてくれる男を求めるために、自己チューに男を乗り換えていくレコア。
まぁ、どちらも、人の情など感じず、世界を己の思うように変革しようとするシロッコに利用されているだけなのですが。

で、先に書いたように、ラストまでのストーリーは基本的にTV版どおりなのですが、全体の時間もなく、ほぼ局地戦の連続なので大味すぎた感があります。
何のための局地戦なのか、戦略の目的が見えないため、ストーリーが分かりづらかったようです。
もうTV版なんて初見以来ほとんど見てないので、基本ストーリーは知ってても、詳細は覚えていませんし。(^^;
もう少し戦闘をぶった切って、ゼダンの門へのアクシズ激突とグリプスⅡ攻防戦の2つに絞った方が良かったかもしれません。

また、地上編はバッサリ切られてたので、友人大好きなサイコガンダムⅡも出ませんでした。(笑)
なので、フォウとの悲恋も、アムロが言う人間の繰り返す愚かさもなかったのが残念でした。
その分、カミーユのことを一途に慕っていたファの想いが叶えられたのが、TV版にはなかった、シロッコを倒したカミーユとの宇宙空間の抱擁でしょうが、ファが両足をカミーユの腰に絡ませたまま宇宙空間を漂うシーンは、まんま無重力SEXですね。
狙ってやったな、富野のじじぃ。(笑)・・・いやいや、失礼。

そーいえば、ラストにセイラさんも出てきましたが、井上遥さんは既にお亡くなりになっているので、しゃべらないかと思ってましたが、ライブラリーで過去録音出演でした。

で、最後にツッコミ。

■ そのいち

シロッコを倒すときに、TV版同様、あいかわらずZが人の魂を吸って力に変えるマシーンであるという表現で行くのですが、昭和の良き時代の演出ならまだしも、今でもやるのはちょっと失笑かも。
それよりTV版のフィルムをそのまま使ってるので、カミーユお兄ちゃんの亜美・・・いや、ロザミア(^^;)の魂も出てくるのですが、はて?映画の構成で彼女がカミーユに力を貸すほどの絡みがどっかでありましたっけ。
とゆーより、どこでお亡くなりになったのか覚えてません。(笑)

■ そのに

エマさんのMk-Ⅱを助けるために、ヘンケン艦長がその身を盾にするのはいいのですが、戦艦一隻と乗組員を共に犠牲にするのは艦長にあるまじき行為では。
漢が女のために命を賭けるのに、他人を巻き込んではいかんでしょう。
せめて、ラーディッシュが撃沈しかかっている状況で、最後の手段として生存者は全て退艦させて、艦長一人で女のために散ってゆくなら、漢の本懐ここに見たりですが。

■ そのさん

最後にZが、ウェイブライダー形態からMS形態に、ゆっくり変形していくのは、やっぱVer.2も発売されたばっかですし、スポンサー様へのサービスでしょうか。
ぜひ、みんなもプラモ買って変形を確かめてみてね。とか。(笑)

とゆーことで、TV版も映画版も記憶だけでプレイバックして書いてますので、いろいろ間違ってたらゴメンナサイ。(^^

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「樹魔・伝説」と「銀色の髪のアギト」

とゆーことで、1週間ぶりにやっと校了した『銀色の髪のアギト』の感想。

本当は、植物の進化を通して、ふと思い出した水樹和佳(子)の『樹魔・伝説』をプッシュしようと思ったのですが、この1週間、TVは何とか見るだけはリカバリーできたものの、まったく感想を上げられなかったので、こっちはなるべくあっさりと書いときます。
いやいや、毎日9~10時まで仕事して、お洗濯して、お掃除して(ほとんどやってませんが)、食事つくって(たまにですが ^^;)、なんてやってたら、ほとんど時間がなかったので、詰まってたアギトも終わったことだし、早くTVの感想に戻ろうかと思います。

さて、初出は両方とも「ぶ~け」ですが、『樹魔』は1979年12月号、続編の『伝説』は1980年5月号・6月号なので、もう四半世紀前ですか。う~みゅ。(~ヘ~;)
本誌で見たのは、『伝説』の後半だけだったので、改めてコミックス買う気になったのは、当時、東京三世社の「少年少女SFマンガ競作大全集」に再録された『樹魔』を読んだからです。

内容は、今読んでも素晴らしく、ぜひ読んでみてもらいたいのですが、SFにはサイエンスネタばりばりの理系SF(いわゆるハヤカワ文庫の青表紙)と、サイエンスネタを下敷きとする舞台で人の情感を主に描く文系SF(簡単に言えばレイ・ブラッドベリィみたいな)と分けたら、これは文系SFの名作です。
・・・と、言うほどSF通ではないのですが。(笑)

作者は「りぼん」出身ですが、当時から絵柄含めて少女マンガの主流には今一歩なれない感で、「ぶ~け」に移ってからの2~3作も似た感じだったのですが、これで開眼したのか、その後『月虹』『イティハーサ』と傑作を生み出してます。

樹魔』が、まだ進化ネタのアイディアで作られた作品であったところ、『伝説』では更に人間の進化・精神の進化という物語にまで昇華させ、そこに女性作家ならではの叙情を織り込んでいます。
これを、更にハードな設定にもっていったのが『月虹』で、東洋的なテイストで描き上げたのが『イティハーサ』です。
私見ですが・・・。(^^;

そーいえば、『イティハーサ』は初出から豪華本で買ってましたが、出版ペースがあまりにも遅いものだから、かなり前に8~9巻で止まったままです。
この気に買いそろえて読み終わってみよーかな。
Amazonだったら、ハヤカワ文庫版で手に入ります。

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ここどーなってんの?「銀色の髪のアギト」

さて、前回からとっくに1週間以上経ってしまった『銀色の髪のアギト』の舞台設定や物語の伏線についてですが、既に映画館で見た記憶も薄れてきておりますし、書いていくうちにアラ探しみたくなってしまった上に、文章にするとやっぱり長くなるのですが、とりあえず「ここ、どーなってんの?」というツッコミです。(笑)

■ 月面での植物暴走のこと
 全ての原因となった冒頭での植物の暴走が、今回の物語でのシュナックの行動原理であったと、映画後半で自ら明かすのですが、だったら、ネタばれにならない程度で、フレーム外でも乱れた画像・音声でもいーから、それなりの音声・画をインサートしていた方が、あぁなるほろと効果的であったかもしれません。後になって、セリフだけで説明されても、ちょっと・・・。

■ ステイフィールドのこと
 トゥーラはなぜ、どうして、どのような状況のときに、ステイフィールドに入ることになったのか。
そもそも、ステイフィールドは何のために準備されていた設備であったのか。災害発生時のシェルターか、それともどこかの研究機関の非常用か。
植物に襲われて、誰かが自分の身を犠牲にして入れたシーンがあったけど、着ていたものはワンピースタイプの環頭衣みたいだったので、やっぱり医療用の患者の着衣だったのでしょうか。

■ ”森”の地下の遺跡のこと
 植物の暴走により破壊され、”森”に沈んだステイフィールドのあった施設ですが、目覚めたトゥーラの存在を危険因子と認識しているなら、なぜ、トゥーラが眠っていた施設を、その まま”森”の地の底深くに抱くように放置していたのでしょうか。危険因子の設備・生体は排除するなら、反応しなかったのは、仮死状態で生体反応が低下して いたせいですかね。

■ トゥーラがイストーク起動に拘った理由

 現在の地球環境に絶望して、父親の遺したシステムを継ぐという気持ちだったのかもしれませんが、父親はなぜか完成したシステムを封印して姿を消したのですから、父親の意思を継ぐというのは正しくないですね。
それより、植物暴走に巻き込まれた母親の復讐・無念を晴らす方が、負の感情であっても、より人間的だったかと思いますし、それを超えて”森”との共生、自然の必要性に目覚めるようであったら成長が見えたのですが。
結局、イストークを止めようとしたのは、たまたま中立都市の破壊を伴うことが判明したためで、他の小さな犠牲だったら見逃していたのではと思うのは邪推でしょうか。

■ イストークのこと
 トゥーラの父親がシステムを完成させながら、起動直前で封印し姿を消した理由がわかりませんでした。(見逃したかも)
自分で封印しながら、なぜ起動キー(の一つ?)をトゥーラのラバンに指定したのかも不明。
また、システムを停止するためにラバンを取り出す手段として、トゥーラの涙で稼働したというのは、どういう原理でしょうか。DNA認証ぐらいですか。
状況としては感動的なのですが、システムは冷徹なもので、人の感情でどうこうできるものではないはずですが。

■ 軍事国家(ラグナ)のこと
 シュナックはラグナ中央の末端であったのですが、シュナックの目的は昇華されても、ラグナ自身の他を侵略し、今ある”森”を破壊・統制するという国家戦略は何も変わってないのです。
ジェシカが共闘したのは、あくまで前線の将兵の一判断で、画面的には
 軍事国家(ラグナ)=文明=自然を脅かす悪
 ”森”=絶対正義
という敵対する二元論で表されていた図式には何の改善の予兆もありません。
イストークが、実は地球環境を再び破壊するもので、人類の存続さえ危ぶまれるものであったなら別ですが、やや無謀であったとはいえ、ただの環境再配置計画の失敗なら、今後も”森”の排除は続くでしょう。
今回の事件を機にラグナの上層部の判断に変化が見えればよかったのですが、中央は言葉で出ただけで、一切の画面表現がなかったので、物語上はブラックボックスのままです。

このままでは、例が悪いですが、ダムを作ろうとしている公共案件があって、それをどうこうするということが変わったのではなく、工事中に起こった落石を解決した程度で、世界の生態系に関する問題は、まだ解決してないのです。

もちろん、数々の問題はこれから解決していくのでしょうが、とりあえずイストークを破壊しただけで全てが片付いたような万々歳では困ります。
イストークは手段であって、森林破壊の目的そのものを解決する必要があるので、まだこれからの問題は山積みという負の面を少し見せながら、それでも未来には希望が広がっているという表現で終わってほしかったと思います。
このままでは、あまりにも楽観的な終わり方です。

と、まぁ鑑賞中は、感情の流れに赴くままに見ているので、あまり気にならないシーンでも、後々よく考えると?が多いのです。
全てを理路整然と劇中で説明しろとは言いませんが、あそこに1カット、ここに1シーンと、伏線や説明、未来への希望の予感となる画を配置しておけば、物語がうまく収斂していくものを、状況を順に表現しているところが、初の映画で余裕がなかったのでしょうか。
そういう意味で、もう少し時間があれば、そのようなカットが配置できたのにと思うのです。

まぁ、アイディアや印象的なシーンはセンスだけで出てくるものでもありますが、それを映画として1本のフィルムに纏め上げるのは、実務的な応用力、職人の技というのも必要なので、まだまだ経験が足りないGONZOのこれからに期待しましょうか。

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ここが残念「銀色の髪のアギト」

さて、あまりにも正面から素直に作りすぎたために「すごく真っ当な作品」とはなったものの、逆に作風としてはイノセントになり、大きなカタルシスにまで至らないところが残念でした。

その原因は、一緒に見に行った友人も言ってましたし、いくつかのブログも拝見したところ書かれていましたが、上映時間(映画としての尺)が足らなかったこと。
このため、世界観の説明や物語の伏線といったものが不足しており、主人公としてのアギトの行動原理にも納得性が欠けた単純な図式になっていましたし、物語の決着のつけかたも目の前の事件を片付けただけで、めでたしめでたしで終わってしまったので、こういうところで、今一歩で名作になり損ねたと思います。

*以下、1回しか見てない記憶で書いてますので、記憶違いや見落としがあるかもしれません。
*また、ネタバレも含みますので、ご注意ください。

■ アギトのこと

キャラ紹介では、「幼い子供をそのまま大きくしたような純粋無垢な性格」と表されていますが、まさにそのとおり。
物語の発端となる森の地下深くの禁断の泉に冒険がてら水を汲みに行き、そこでトゥーラと出会うのは、その性格ゆえでもいいのですが、その後、イストークを起動させるためにラグナに行ってしまったトゥーラを助けに行こうとする決断から、助けるに至るまで、そのままで何の成長もない(としか見えない)のです。

実際はトゥーラが自分の意思でラグナに行ったので助けるも何もないのですが、その後を追うアギトの姿は、まるで大事な(玩具とまでは言いませんが)ものを取り上げられた子供が、返せと駄々をこねているようです。
まぁ、最後はトゥーラの行動が間違っていたため、それを止める手助けをしたことで、結果論では悪い行動ではなかったのですが。

それでも、森の力を身に宿すためには人ではなくなることであるのに、まったく躊躇することもないし、森の力を身に宿した後に、その力の検証のために森の意思に示されるまま、ラグナのメカを切り裂く姿には、人を殺めることや、物を破壊することに対する葛藤も何もないのです。
見方によれば、善悪の判断をうまくつけられない子供が、自分の意思(欲望)に忠実なまま力を振るっているだけにしか見えないのが恐いところです。
大きな力を手にした者は細心の注意を払って、その力の使いどころを思慮すべきだと思うのですが・・・。
せめて、破壊されるメカの中に兵の姿など描かなければ、まだ、そのアクションはただの記号として捉えられますが、中途半端に人間の姿など(刺激的に)描くのが最近の悪い風潮です。
人間の姿を描くならば、少しでいいから、それに対する痛みも描き、それでも決意し行動する(せねばならない)という状況、想いをきちんと描ききってほしいものです。

別に、主人公の悩む姿ばかりを見せられても面白くもなんともないので、それをメインにしろとは言いませんが、アギトにこういう心情の揺れがほとんどなかった(最後で植物に取り込まれてしまったときに少しはありましたが)ので、物語に流されて動く主人公となってしまって、成長しきれなかった(と見えた)のが残念でした。
やはり、物語を通して、主人公が、世界を知り、本当の情愛を知り、成長していく。というところに感動があると思うのです。

なんか、あらゆることに対して、精神年齢は小学生のままのようでした。

そういう意味では、15歳のアギトが18歳のトゥーラに対して、最初は年上の女性に対する子供の憧れであったものが、二人の心の交流を通して少年の恋愛に変わっていくというエピソードがあってもよかったのかもしれません。
今のままでは、好きといっても、ただトゥーラの容姿に惚れて、境遇に同情しているだけのようでありますし。
ここは、映画のキャッチコピーに”友愛”とあるので、時間的にもあえて踏み込まなかったところでしょうか。

世界は、そう単純ではありません。

少年の単純(純粋)な想いが、閉塞した世界の枠組みを壊し、新しい世界への道を開く。
一人の少女を救うことが、世界を救う鍵になる。
という図式にしたかった制作側の想いはわかりますが、それにしては、キャラの演技、表現不足であったことは否めません。

■ エピローグのこと

今回の物語が終わった後、荒れた土地に(たしか)父親から託された花を植えるシーンがあります。
これはこれで、受け継がれた想い、未来への希望を植えるということで良いのですが、これに加えて、更に現実的な未来への希望を見せてくれても良かったと思うのです。

300年前に月を破壊し、地球を荒廃させる原因となってしまった植物の暴走、現在の””となってしまった植物群は、人により歪んだ遺伝子を持たされ、歪んだ進化となってしまった生命です。
ならば、未来への希望は、その歪んだ進化を正す。または、新しい進化を促すというカットで終わってもよかったと思います。

植物に取り込まれたアギトの想いが、植物の深層意識に沈み深く浸透したアギトの父の想いが、植物としての正しい有り様としての遺伝子の変化・進化を促す。
または、歪められた植物の遺伝子とヒトの遺伝子が融合することで、植物の正しい進化を促す。とかです。
進化とは、偶然や環境適応、遺伝子の優勢劣勢等によるものだけでなく、『生命の生きるという未来への意思や想い』によるものでもあるというのでも、いいかと思うんですけどね。
(別に神秘主義というわけでもありませんし、浅学でもありますので、進化云々については正確な認識であるとは言いませんが。)

ここらへんが、即物的に表現されたのが、実体がなかったベールイ・ゼールイが植物の果実の中から実体を持つ赤子の姿として生まれ出でているというエピローグのカットです。
劇中でも、植物に取り込まれたアギトが、再び人間の姿に再生して果実の中から生まれ出ずる際に、実体のないベールイ・ゼールイの姿が重なり一人の(少女の?)像となるシーンがありますが、これは植物群の中で分たれた遺伝子(元々の植物の遺伝子と取り込まれた生物・人間の遺伝子)が、アギトの人間として再生したいという想いに触発されて、融合し進化したのではないでしょうか。

でも、人間体の姿をとる植物の進化(意思を持ち、動くことができ、光合成により生命活動エネルギーを得ることができるのでしょうか。-これはある面、植物の理想の進化ではありますが)ではなく、植物は植物の姿で、人間は人間の姿で、次の進化に至って欲しかったと思うのです。(人間の傲慢ですね ^^;)

植物に取り込まれた人間は普通は再生することはない。
ならば、生命の想いでヒトに再生できたアギトの中にも、次の人類への進化のための、植物の遺伝子=想い=生命の記憶が内包されている。
普通は、ああいう風に再生されたら、元々の遺伝子情報によって再生されるので、黒髪に戻るはずですが、あえて銀色の髪のままというのは、植物の生命としての力をもって、生物としての次の未来への種となる想いを託されたからではないでしょうか。

植物の方は、できれば、赤子の生々しい表現ではなく、新しい生命の息吹としての芽が、森の奥の地下にある泉の小島に発芽している。(ここらへん、ナウシカに影響されてます。笑)
というカットの方が、淡く余韻があってよかったかな~と思います。
もしくは、冒頭が細胞核の歪んだ異常分裂のカットから始まったので、同じようなカットで次なる正しい進化へ進もうとする細胞核の分裂を見せながら、それがフォーカスして生命の満つる青い地球や銀河にかぶさっても幻想的(?)だったかもしれません。
ただ、こういうラストカットは、劇中に伏線のシーンやカットを撒いておかないと効果的ではありませんが。(笑)

新しい人類と植物があまねく地に満ちるまでは、まだ幾多の時間を必要とするのかもしれませんが、300年前の悲劇から今回の事件までの時間は、次なる進化への試練でもあったのであれば、その物語は伝説的に語られるのではないでしょうか。

・・・・・・と、勝手な脳内妄想を繰り広げてきましたが、ここまで、お読みいただいた方、ありがとうございました。m(_ _)m
他に、舞台設定や展開の伏線に関するところ、植物を通した進化など「樹魔・伝説」(水樹和佳=今は、水樹和佳子)を思い出させるところを書こうと思ったのですが、更に冗長な原稿となってしまったので、もう1回、次にまわします。
よろしければ、あと1回おつきあいくださいませ。(^^

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すごく真っ当な映画です「銀色の髪のアギト」

今年最初の劇場アニメは、ユナイテッドシネマ長崎で見てきた、GONZO初のオリジナル劇場映画 『銀色の髪のアギト』。

*映画なので、以下テキストだけの評で長くなりますが、お暇ならば、お付き合いくださいませ。

劇場予告以外は前情報なしだったので、下手したら、もったいぶってるけど、中高生用のそれなり程度の映画かなと危惧してましたが、OPクレジットで飯田馬之介:原案というのを初めて認識しました。
だったら、けっこう期待はできるかなと思いながら見ましたが、総評としては「すごく真っ当な映画」と感じました。

最初、キャラが少し丸っこい子供向けの画かなと感じましたが、荒廃した地球で逞しく生きる子供達という導入部の動きある画を上手く見せられていくうちに、あまり気にならなくなりました。それどころか、後半では、これがけっこう各キャラ、いい表情を見せる画作りに仕上がっていました。

設定は公式HPやバンダイHPで見ることができるし、ストーリーを語るのは野暮なので、少し気になる点を上げてみましょう。

現在、世界に認められるアニメ監督の方向性って、宮崎駿大友克弘押井守が代表だと思うんですよね。(他にも、まだ素晴らしい監督さんはいらっしゃいますが)
押井守は完全に独自の世界に行っちゃって(地平の彼方に到達して)る。
大友克弘は画作りはともかくで良いのですが、作品としては(スチームボーイなど)完全に勘違いしている。
で、やはり日本人の感性に合うのが宮崎駿ということになるのでしょうが、今回のGONZOのこの作品、大きな方向性では(過去の)宮崎駿の向いているベクトルに近いものを感じました。

科学文明の過ちによる荒廃した地球と異常に見える自然環境。

人類を侵食する自然と、そんな自然に対抗する文明と、自然を受け入れてあるがままに共に生きようとする人々。

そんな大地でも逞しく生きる主人公の少年。(冒頭のアギトの生身の身体での躍動感あふれる動きなど)

世界の鍵となる少女は健気に見えるが、守られるだけの弱い存在でなく、自分の意思をしっかりと持って行動する。(ステイフィールド=コールドスリープ?から目覚めたトゥーラが迫り来る激流から自分自身の身体を動かしてアギトとともに脱出したり、物語の後半でイストーク=環境再生プログラムを自らの手で止めようとしたり)

エッセンスだけだと、宮崎駿の「コナン」、「ナウシカ」(時代や舞台設定をのぞけば、「もののけ姫」も)を見るようです。
こういうストーリーの場合、レイアウトが似通ってくるのは仕方ないことでしょうが、かといって、それが、この作品の評価を落とすわけではありません。
わかりやすい配置と、主役から脇役まで、それぞれの想いを込めて行動し、行動で己の想いを語るキャラ。
そして、正面からきちんと描かれるストーリー。

中高生用というより、世界設定や背景の理解は少し難しいかもしれませんが、良質のジュブナイル(ライトノベルの方が通りがいいのでしょうが、その語感は特にSF&ファンタジーに限って言えば、あまり好きになれないんですよね)として、小学生中学年~中学生にきちんと見てもらいたい作品だと思います。
優れたジュブナイルは大人の鑑賞にも堪えるのですよ。

ただ、スレた身としては、展開にもう一押し足らないところが、自分の中では名作・傑作ではなく、「すごく真っ当な作品」と評したわけです。
その足らずのところがあれば、もう一段階上の良質の作品になったと思いますが、これは時間的(映画の尺の)制約か、それとも、GONZO初のオリジナル劇場作品のためか、押さえるべきところは押さえても、あまり余計なことは詰め込まないところで着地させたのではないかとも思うのです。
それでも、制作側が、この作品に正面からきちんと向かい合って作ったであろうことは画面から十分感じられ、それが「すごく真っ当な作品」=いい作品になったと思います。

邦画みたいにヘタれるわけでもなく、ハリウッドみたいにハッタリで押し通すわけでもなく、全体としては、アクションシーンはありながらも、バカバカしい派手な演出ではなく、どちらかというと落ち着いたトーンで清清しく語られる物語という印象です。
約100分(圧縮なしでDVD二層に入る時間ですね)の中での構成もうまく、退屈になったり、眠くなる流れではありませんでした。
子供達(少年少女)が自分達の考えでしっかり行動し、それを見守り支える大人たちが表に出なくとも、しっかり大人の役割を果たしている。そういうところも感じられました。

いやいや、町を守るために、飛んでくる岩の破片を己の力=素手で(強化体なので可能ではあるのですが)打ち砕くハジャンは渋いです。
こーいうオヤジを見るだけでも価値はあります。(^^

また、植物と同化したアギトが自分の内面で、先に植物と同化していた父親と出会い道を示される(自分の内面と語ることで道を見出したのかしれませんが)シーンで表現される、親から子に託され、繋がれる想いに、めっきり涙腺ゆるんでいる身としては、思わずじんわりきてしまいました。
子としての想いがわかる時代もとうに過ぎ、親としての想いもわかる(と思っている)年齢でもありますから。
アギトが父親と出会った内面は、ユングで言うところの『普遍的無意識』に近い領域にあるところでしょうか。
自分の中の個人的無意識での問いと答えではなく、世界にあまねく繋がる普遍的無意識で共有する想い。その『原型』は生命だと思うのです。

音楽もKOKIAのOP/EDも作品にあってて、すっごく良かったと思います。
劇伴演奏は、アニメでもけっこうお世話(「ファフナー」や「ジャイアントロボ」など、他にもありますね)になっている『ワルシャワフィル』。雄大で壮大な音楽です。
せっかくのEDもラストのクレジットロールでしか使われないことが多い中、「アギト」ではエピローグに合わせてEDが使われていましたので、これだったらED冥利に尽きるってものです。(実は、ここらへんも「ナウシカ」に見えてしまうところではあるのですが ^^;)

ただ、そのエピローグでのカットも、足らずと感じた部分の一つでもあるのですが、文章も長々となりましたので、その辺は、他の点と合わせて、次の原稿で書いてみたいと思います。

PS.森の意思を伝える双子のベールイ、ゼールイって、響鬼の童子と姫かと思ってしまいました。そー思いません?(^^;

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あー、「コスプレ王選手権」ね~

あー、今日のTVチャンピオンは『コスプレ王選手権』か。

ぜんぜん知らなかった。
珍しく早く帰れたと思ったら、くだらんものを見てしまった・・・。ヾ(ーー )
(ウソだよー)
レイヤーの皆さんの製作努力には頭が下がりますが、萌へカメ小僧どもには萎えまんな~。

そーいえば、『アキバ王選手権』なぞも、とっくの昔に見逃してたのであった。
(放送されてる時間なんかに帰れるかぁー!)

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奇談~生命の木:諸星大二郎

キターーーーーo(・∇・o)ーーーーーー!(って、表現毒されてるなぁ~)

いや、それはともかく、今日買ったTVステーションの裏表紙の広告で知った『奇談』。
まさか、諸星大二郎の「生命の木」が原作で映画化されてるとは知らなんだ。
(時代おくれでゴメンナサイ)

いきなり、脳髄ぐりぐりされた感じです。
「いんへるの」「ぱらいそ」(ウヒー・・・ってオイオイ

この調子で、OVAでもいーから妖怪ハンターシリーズでもアニメ化してくれんかね。
しかし、あの画では、アニメーターは魂すいとられそーだ。(^^;

なにはともあれ、ナオキ、「オラとぱらいそさ行くだ!」
(映画見に行くぞ)

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ZガンダムⅡを見る

そして15:30にライダーが終わった後、シネプレックス小倉まで歩いて移動して16:30からZⅡ。
内容については既にあちこちでレビューされてるから、敢えて言わないとしても、ストーリーの骨格を知ってるからいーよーなものの、こんだけぶった切って繋いだら、初めて見る人は、脈絡のない分裂症ぎみの言動・行動のキャラばっかだと思うでしょーね。
ライダーとどちらがましかは、なんて言いませんが…剣呑剣呑。( ̄〇 ̄;)

どーしても2作目は、ラストに向けての繋ぎの、大いなる予告編になってしまうのは仕方ないけど、個人的にはガザC軍団とハマーン様専用ガザCの新作カットで締めてくれたんで、笑いとともに次回への期待を持たせてくれました。(*^ー^)ノ

シネプレックス小倉はTジョイより先に出来てたシネコン(ヘラルド系)で、遠出したついでに、話の種に一度ぐらいはと行ってきたのでした。
建物はそんな大きくないけど、意外とスクリーンも部屋も大きく、なかなかでした。
しかし、ご多分にもれず客数が少なかったのは…ライダーよりは多かったか。

写真は裏側の方からだけど、中央には観覧車もあって、一応はランドマークなんだろーけど、駅前からびみょーに外れてるんで少し地味。(地元の人メンゴ…って、これも死語か)
でも、街中のモールなんで、地元の家族連れには利用しやすい施設だと思います。(フォローフォローっと)(^_^;)

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仮面ライダーFIRST速報

本日は仮面ライダーFIRSTとZガンダムⅡのダブルヘッダー。
まずはTジョイ・リバーウォーク北九州で13:50からライダー。
しかし、初日だというのに客少なー。見る分には楽だったけど。(´∀`)

本編はというと…まぁ、役者は頑張ってる。頑張ってるが、若手幹部のエピソードなぞ長ったらしく入れずに、主役の3人に絞った方が良かった気がする。ショッカーの非情さを出すにも中途半端だし。
本郷役は、明るくはないけどそれなりに好青年の雰囲気が出てて良かったと思う。

デザインはボンデージ系が入ってるのがアレだけど、出渕リファインもあるし、質感含めてライダーそのものやサイクロンはかっこいい。
アクションは鉄拳系とゆーよりバーチャ系で回る回る回転系。よし良し。

それにしても、突っ込みどころありありではあった。

写真は映画館が入ってる建物。昼に撮り忘れたので見にくい夜景。(^_^;)051105_19260001.jpg

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